KotonohaKonoha123’s diary

ムサシが、「いま感じている事」を想いのままにゆるりと綴るブログ。どうぞまったり気軽にお読みください。

読切小説『クレイルのプレート』

やや久しぶりの更新となりました。皆さんは元気でお過ごしでしょうか?僕はGWにとある場所へ旅行して参りました。とてものどかで空気は美味しく、この上ないリフレッシュになったと思います。

 

さて今回は、ブログというプラットフォームではありますが読切小説を少しばかり綴りたいと思います。気候が陽気になってくると、文章も次々に生まれるものです。思い付きで書くので面白くない話かと思いますが、いち人間が文の発散欲を満たしているだけだと思ってさらっと目を通していただけると嬉しいです。

 

 

 

 

◎「クレイルのプレート」

 

クレイル喫茶店』__

 私には20年来の行きつけの喫茶店がある。家から歩いて30分ほどの、大きな幹線道路沿いにひっそりと佇んでいる。決して近いとは言えないが、散歩ついでには丁度いい距離だ。

 

 

 私はずっとここに住んでいたわけではない。40歳を過ぎた頃だろうか、地方の企業でサラリーマンとして生活していた私は転勤によって家族と共にこの街へ移り住んだ。今では子ども達も独立し、自分自身も定年退職した為ゆったりとした日々を過ごしている。

 

 

 同い年のマスターが淹れるコーヒーの味は、あの雪の日も、あの暑い日も、いつも変わらない。いつだってマスターの味だ。正直、美味しいのかと訊かれれば肯定はできない。近頃はコンビニコーヒーを飲む機会も増えたのだが、何故だかその不思議な魅力に取り憑かれ、以来20年もの間通い詰めている。

 

 

 新緑の歩道を歩き今日もクレイルへやって来た。古びた木製のドアを開けると、内側に設置された小さな鈴がカランカランと音を立てる。

 

 「いらっしゃい。お、また来たね?」

 「あぁ、家内は友達と旅行でね。家にずっといても暇なわけだよ。子どもらも電話してきやしない」

 「ハハハ、子どもなんてそんなもんさ!僕だってそうなんだから。娘が1人と息子が2人。せっかくの一姫二太郎も、時が経てば無愛想になるものだよ」

 「寂しいですなぁ。結局僕らは働き、結婚し、子どもを育てたら用済みなのかもしれないね」

 

 私の言葉にしみじみとした表情で頷くマスターは、注文を受けずとも慣れた手つきで丁寧にコーヒーをハンドドリップしている。「いつもの」さえ言わなくても、私が店に入るとコーヒーを淹れる作業に取り掛かる。私がコーヒーを飲む事を熟知しているからだ。

 

 

 マスターは2代目だ。この店は50年前の創業から今日に至るまでハンドドリップを貫いている。故に少々の時間を要するが、喫茶店に俊敏性を求めるのは野暮だ。喫茶店は非日常の空間なのだから。

 

 沸かしたての熱湯を、フィルターに盛られたコーヒーの粉へコポコポと注ぐ。たちまち香ばしい香りを乗せた湯気がふんわりと立ち、私達のいるカウンターを包む。

 

 「はいどうぞ、コーヒーね」

 「ありがとう」

 

 私は砂糖も使わなければ、ミルクも使わない。純粋にブラックコーヒーだけを飲む、その方がマスターの味がよくわかるからだ。

 

 そうしていつものように熱々のコーヒーを少しずつ飲んでいると、マスターが何やらトースターで食パンを焼き始めた。すると焼き上がるまでの間、今度は小さなコンロの火を付け、片手で茶褐色の卵を割ってスクランブルエッグに取り掛かる。少し炒めたら卵を端に寄せ、大きなソーセージを2本投入。まだ固まりきらない卵を一足先に皿へ移し、続けて焼き目をしっかり付けたパリパリのウインナーを添える。ちょうどその頃主役のパンも焼き上がり、軽めのプレートが完成した。

 

 「マスター、それは何だい?」

 「何って、見ての通り軽食プレートだよ。旦那は常連だから特別に作ったんだ。普段はメニューとしてもこんなの出しちゃいないね」

 「裏メニューか。でもどうして急に?こんなに通っているのに1度もサービスなんかしてくれやしなかった」

 「失敬失敬!今日はたまたま機嫌がいいんだ。こう見えていつも上機嫌なわけじゃないんだよ。これからの人生をどう生きようかとか、親父から継いだこの店をいつまでやれるのかとか考えていると重たくなる時もある」

 「なるほど…今まで感じもしなかったがね」

 

 「そりゃあそうさ。客商売をする以上は表には出せないからね。でも今日は気分がいい。朝起きて窓を開けると実に気持ちのいい風が入り込んできた。その風に誘われるように散歩に出てみたら、植込みに綺麗なタンポポが沢山咲いていた。路地裏から駆け出して綿毛に夢中になっている野良猫と、その横を仲睦まじく歩いていった幼稚園児と母親__何だかそんな風景を見ていただけで、心が暖かくなったんだ」

 

 マスターのどこか嬉しそうな口調を聞きながら、パンにふわふわの卵とソーセージを乗せて頬張る。静かな店内に優しく響く、昔懐かしい昭和のレコード。タバコとコーヒーの混ざったここだけの匂い。何の変哲もないいつもの日常だけれども、私も心がふっと軽くなった。

 

 

 

 

 それはマスターの人柄が溢れるような、優しく温かい1皿だった。

 

 

<おわり>

 

 

春の香り、夏の香り

◎ヒューマンカースト

 

人類みな平等という言葉をどこかで聞いた気がするけれど、まずそんなのあるわけない。平等なんて有り得ないし、皮肉な事に人間の世界は格差によって成り立っているのかもしれません。

随分スケールの大きい前フリになりましたが、Twitterの友達用アカウント(リア垢)を見ているといつも感じる事があります。それは、ズバリ

 

《リア垢は不公平感の巣窟》

 

ということ。些細なツイートにも毎回必ずいいね等の反応を貰える人&貰えない人の差が顕著に表れていると思いませんか?

10や20の反応を得る人がいる一方、1桁台や、時には無反応なんて事も有り得ます(まして「〇〇に行った」等の報告系ツイートは歴然)。同じような内容を呟いても差が生まれてしまうのだから、人間って怖いなぁ…と思います(苦笑)。

こんな愚痴は勿論リア垢では呟けませんし、そもそもTwitterで言おうとすれば長文連投になり、内容も内容なのでブログにてまとめることにしました。

見苦しい文章になってしまい申し訳ありません。

 

 

◎春と夏の香り

 

少し前まで朝の冷え込みが酷く起きるのが憂鬱で、玄関を開けるのも億劫でしたよね。今年は雪こそ少なかったものの寒さ自体は長く居座りやがったように思います。

最近ようやく毎日が春の陽気になり始め、風も香るようになってきました。この香りは何処から来ているのでしょうか…推測するに、芽吹きはじめた植物達や土、太陽の当たり具合等色々な要素が合わさっているのではないでしょうか?

僕はこの香りが好きです。忌まわしい冬が終わってこれから少しずつ夏へと向かっていける。気分も自然と明るく晴れやかになります。

夏には夏の香りがちゃんとあって、こちらも好きなんです。夏休みのあのにおい__照り付ける太陽、轟く蝉時雨、真っ青な空に浮かぶ入道雲、そして夏の風。ふと切なくなってしまうのは僕だけでしょうか?「この時が永遠に続けばいいのに」、なぜかそう思ってしまうのです。

 

 

今日はこんなところで。

 

 

文章を書くことの楽しさ

◎新復興大

今村前大臣の辞任に伴い、本日4/26を以て吉野正芳氏が新しい復興大臣に就任しました。吉野氏は東日本大震災の主な被災地である福島県出身の議員であり、当選6回のベテランにも関わらず1度も大臣の経験が無いという少し変わった(?)経歴の持ち主です。

昨日のブログにおいて幼稚な記者に対する不満をぶちまけましたが、前大臣は例の記者会見の後のパーティーにて「震災が東北でまだ良かった」旨の発言をし、すぐさま辞任(事実上の更迭)に追い込まれました。これに関しては流石に今村氏を庇うことはできない…自分で自分の首絞めてどうすんの、って感じです。

そんな中での福島出身の吉野氏起用がどのような効果をもたらすのか、注意深く見ていきたいと思います。僕自身は東北に縁はないのでこんな事を言える資格はありませんが、吉野氏には福島、いや東北代表として<国民大臣>になってもらいたいです。

 

※追記:この人事に関してまたケチをつけている人達がいますが、あらゆる決定にいちいち批判してどうするの…。

 

 

◎文章は楽しい

「文字数を気にせず、文章を綴りたい」「思いの丈を言葉にしたい」と思い立って始めたこのブログ。FacebookTwitterとは違い、読み物として自分の気持ちを文字に起こせるところが魅力的だと思います。文章の構想を練ったり、実際にスマホのキーボードを触って記事を作成していったり…一連の作業は本当に楽しく、何だか夢があるなぁと思ってしまいます。

確かに必ずしも言葉で書いた事が自分の想像通りのニュアンスで万人に伝わるとは限りません。受け手の思想もそれぞれですから、誰かしらと考えに相違がある事は充分に有り得ます。しかしながら、やはり<文章>無くして人間は人間たり得ないと思うのです。

己の感ずるところを文字にする。それは多くの利点を持つ反面あらゆるリスクも孕んでいるけれども、日本のどこかで誰か1人だけでも共鳴してくれるはず。そう信じて昨日からブログを始めたし、これからも信じていきたいと思います。

 

 

ムサシ

 

 

 

 

旅行前のウキウキ感とか、色々。

◎楽しみが誕生!

 

ゴールデンウィークに家族旅行する事に。幼い頃から宿泊行事が近くなるとワクワクしてしまうのが治らず、例によって今回もテンションが上がってしまいました。

上手く文章にする事ができず歯痒いですが<離れた場所で丸1日以上過ごす>&<離れた場所の空気を吸いながらその地を歩く>事は自分にとってとても楽しく、充実したひと時なのです。多幸感というのか浮遊感というのか、一瞬の脳内麻薬のようなものでしょうか。わかって下さる方どこかにいませんか… 

 

 

Twitterを通して

 

Twitterを始めて随分経ちますが、Twitterを通して色々なユーザーを垣間見てきました。本当にそれぞれ千差万別で、「人って誰ひとり同じ人はいないんだなぁ」と改めて認識すると共に「ちょっと合わないな」ないしは「全然合わない」と思う事もしばしばです。

例えば<無言フォローはフォロバしません>と宣言する人。僕には正直理解ができません。そもそもTwitterって自分が気になった人を自由にフォローして、タイムラインを自分専用に作り上げて旬な情報を手に入れる為のツールなのでは?

もちろんフォロバするしないも個人の自由ですが、「挨拶しねえとフォロー返さねえよ」の上からスタイルは如何なものかと…。何様だよ、と言いたくなります。あとは<#RTした人フォローする>系のタグツイに反応しておいて、こちらから挨拶しても無視、もちろんフォロバもしない謎の人。フォロー数稼ぎでもしたいんでしょうか?たまにこういうおかしい人もいるんですよね…

 

(´-`).。oO嫌いな人がいない世界はどこ…

 

 

◎揚げ足取りは滑稽

 

見出しの通りです。某大臣の辞任の知らせを耳にして改めて強くそう想いました。勿論これは大臣に大してではなく例の記者、ひいてはマスコミ全体に対してです。

映像見ましたが、あれは記者の喧嘩腰な質問の仕方が悪いと思いませんか?誰だってあのようにしつこく噛み付かれたら怒りますよね。確かに大臣という職で公の場に出る以上、あのようなヒートアップはせず大人として冷静に受け流せていたら良かったと思います。それでも僕は納得がいかない。もはやあの記者は単に大臣から失言(あるいは失言に取れるような言葉)を引き出したかっただけなのでは?テレビ各局も軒並み<大臣が失言><大臣が激昂>ばかりだったではないですか。

会見の場において、例えば記者から政治家への意見や反論はあるべきだと思うのです。そうしないと情報機関の意味がありませんから。でもボロを出させたいが為の幼稚な質問や揚げ足取りは時間の無駄でしかない(正直、幼稚な記者達に国民の代表ヅラして欲しくない)。政治家とマスコミがお互いを尊敬し合い、反論する所はきちんと反論する。これがあるべき姿だと思うのですが、叶いそうにありませんね…。

 

 

色々書いてたら頭パンクしそうになってきたので今日はこれで。

 

 

 

こんばんは。そしてよろしくお願いします。

ムサシです。この文章を打ち始めたのは午前0時13分、すっかり辺りは寝静まって街は夜の静寂に包まれています。静かなこの夜に独り静かにブログを綴っております。

 

最近、自己顕示欲とはまた違う何かの欲が体の奥底から湧いてくるのです。LINEやTwitterをいくらやっても物足りない。かと言って小説を書けば挫折し、ノベルゲームも頓挫してしまう。「自分の感情の赴くまま、ただひたすらに&ただ自由に文章を綴っていきたい」。そんな想いが強くなりこのブログを作るに至りました。

 

「ブログ」ってとても素敵なツールだと思うのです。己の素直な気持ちを、特に文字数を気にすることも無く書き連ねる事ができる。はたまた他の人の記事を見れば、その人の日常の一端を垣間見る事ができる。いつでもどこでも気持ちに言語を持たせられるところが魅力的です。

 

それでは皆さん、こんな感じでマイペースでゆったりとしたブログにしていきたいと思いますのでどうぞご贔屓の程よろしくお願い致します。おやすみなさい。

 

 

2017年4月25日 ムサシ